BERNARD LAGAT: 5 THINGS TO KNOW ABOUT THE 5-TIME TRACK AND FIELD OLYMPIAN
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1.バーナード・ラガトはずっと米国市民であったわけではありません
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今回5度目の五輪への出場となった彼ですが、彼が米国代表として五輪に出場するのは3度目です。2001年、2004年の五輪には、ケニア代表として出場しました。2005年に米国市民へと帰化し、2007年の大阪世界選手権で初めて米国代表として世界大会に出場しています。そして、そこで世界選手権史上初となる1500mと5000mの2冠を成し遂げたのです。

2008年の五輪では1500m、5000mの両種目に出場するも、けがの影響から不本意な結果となりましたが、2012年には再び代表を獲得し、5000mで4位入賞を成し遂げました。

2.彼の5度目の五輪には彼の娘からの励ましがありました
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ラガトの娘ジャンニは、2016年リオ五輪出場を目指してトレーニングに励む彼に、「リオで体操を見るために代表になって」と励ましたそうです。

3.子供のころ、彼は学校まで走って登校していました
彼が子供のころ、ケニアの学校まで1.5マイルを毎日走って登校していました。子供にしては多くの距離を走っていたにも関わらず、彼が本格的に走り始めるのは大学に入ってからのことでした。ケニアのジョモ・ケニヤッタ大学からアメリカのワシントン州立大学に入学し、そこで初めて本格的なラガトのキャリアがスタートしたのです。ちなみに、彼はワシントン州立大学で経営情報システムの学位を取得しています。

4.バーナード・ラガトにとって、年齢は数字に過ぎません

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全米選手権5000mにエントリーしたどの選手よりも年を取っているにも関わらず、彼はレース前の記者会見で自分のことを非常に若々しく感じていると話しました。

「私は自分が年をとっているとは思いません。そう思った時、私の走りは年をとったものとなるのです。」

5.彼はコーチと20年間連れ添ってきました。 
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ラガトが21歳で米国に来た時から、彼のコーチであるジェームズ・リーとのキャリアが始まりました。しかし、リーは、ラガトにそれほどまで才能を感じてはいなかったと話します。しかし、今、それは間違っていたと思っていると言います。 

そして、2016年リオ五輪で5度目の出場権を勝ち取った今まで、彼はコーチの予想が間違っていたということを証明し続けてきました。

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